「由子、高島様にご挨拶なさい」
白髪まじりの少々厳つい顔をした中年男性がそう言った。声は硬く、表情はどこか緊張した面持ちだった。
由子が何を言えばいいかと言葉を詰まらせていると、由子の斜め前の席に座っていた男が柔らかく微笑んだ。
「良いですよ義孝さん」
「そんな、高島様」
厳つい顔をした中年男性、由子の父、義孝は焦り出した。同時に由子に責めるような眼を向けた。
「立派な娘さんをお持ちだ」
「は、はぁ。申し訳ありません」
面白い、と由子は思った。面白い。
いつもならでかい顔をして踏ん反り返っているだけの父親も、腰を折れるほど低くし人と接する事もあるものなのだと認識すると、なんだか馬鹿馬鹿しくなった。時と場所と場合で人は変わる。理不尽だと思うかもしれないが、そうでもしないとこの身分社会は機能しないだろう。理不尽は社会の基本だ。
「由子、高島様の事は常から聞かせているだろう。この国の貿易を背負っておられる方だぞ。失礼を働くんじゃない。」
「私なんて聞かせる程の人間で無いでしょう」
「何をおっしゃりますか、高島様のお陰でこの国は成り立っているのです。私たちがこうして暮らしていけるのも高島様のお陰です」
いつもは文句ばかりを言う義孝のその言葉に嘘は無かった。
高島という男はこの国と他の国の交易を一手に引き受ける、この国唯一の貿易商だ。
もともと国家間の交流が出来るほど文明が発達していないこの国で貿易など望めるものでは無かったが、高島はそれを実現させた。
夜を渡る船は作れなかったが、夜を越えて通信できる機器を開発したのだ。
それを使って他国と交信し、夜を渡って来てくれるよう交渉した。
それからまだ未発達であったこの国も他の国の文化、技術を取り入れ、発達してきた。
義孝はその恩恵を受けた最も典型的な例だった。最近では他国の豪族が家をわざわざ訪ねてくるほどになった。
暮らしは前と比べて格段に豊かになったが、時々させられる挨拶が、どうも由子は苦手だった。
高島への挨拶も最後までまともにせず、そのまま下がった。