本当、どうでも良い世の中に生まれ着いてしまった。
百歩譲って世の中の事は置いておいたとしても、何て立ち位置。
女の体を授かった。それはいい。女は世の中から重要視されない生き物だから。
母親が殺された。良くは無いが、悪くも無い。あの女は私を好んではいなかった。人間は自分を愛さない者を愛さない。
少々足が短い。不恰好に見える事も少なくは無いが歩く分には問題無いので気にしていない。そういえば母親は体系的には恵まれていた気がするが、あまり定かではないので特に考えはしない。
所謂、勉強というものが出来ない。数字の羅列等は見ると目が回って適わない。しかし、これも取り立てて問題無い。数字の羅列など理解できなくとも人間は営みを続けることが出来る。
父親が、世間一般で言われる犯罪者、悪党だということを知っている。余程上手くやっているのか知りたくも無いが、それなりにやっているらしい。『番』が定期的に訪れているのに未だのうのうと野放しのままだ。私には何も降りかかってこない。
ならば、何が問題なのか。
ここまで言っておいてなんだが、特に何も無い。
何も無いのだ。
女であっても私は生きるし、
母親がいなくても私は18まで育ったし、
足が短くても歩くし、
学が無くとも生活の知恵は持っているし、
父親が何であろうと、やはり私は生きるのだ。
何も無い。
別に、何も。
しかしそれがいけない。
人間というのは機械的な日常に慣れると、人間である必要は無いと思う。
人間に与えられた機能を全う出来ていない気がするから。
だからといって日常に刺激や変化を求めても日常は何もしてくれない。
自分から得ようとしても、人間一人の力などたかが知れている。
結局は、甘んじるしかないのだ。
この立ち位置にあることを。
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